大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

新潟地方裁判所 昭和40年(わ)25号 判決 1966年2月28日

被告人 山川真也

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある白木綿包帯よう布紐一本(昭和四〇年押第二二号の一)、赤い布切一枚(前同号の四九)、赤旗一枚(前同号の五〇)、折れた釣竿(根本に赤いテープの三三〇円の定価表のついたもの)二本(前同号の五一)、折れた釣竿(長さ五〇センチメートル)一本(前同号の五二)、折れた釣竿(長さ五七センチメートル)一本(前同号の五三)を没収する。

理由

(目次)

第一罪となるべき事実

一  被告人の経歴等

二  本件犯行に至る経過

三  本件各犯行

(一)  身代金目的拐取、拐取者身代金要求

(二)  殺人

(三)  死体遺棄

第二証拠の標目

第三弁護人および被告人の主張に対する判断

一  弁護人および被告人の主張の大要

二  当裁判所の認定する間接事実(証拠説明を含む)

三  被告人の司法警察員および検察官に対する自白の任意性の有無および信用性の程度

(一)  自白の態様

(二)  自白の任意性の有無

(三)  自白の信用性の程度

四  被告人の当公判廷における供述の合理性および真実性の判断

(一)  供述の不合理性

(二)  供述の非真実性

五  その余の主張に対する判断

第四法令の適用

第五量刑の事由

第一罪となるべき事実

一  被告人の経歴等

被告人は、新潟市古町一二番町において、父広次、母ミスの次男として生まれ、同市内の小学校、中学校を経て、昭和三五年三月、私立新潟明訓高等学校を卒業後、父広次が、同市南多門町二三〇七番地で個人経営する山川自動車商会において、自動車の修理、販売に従事するようになり、同所で両親や、これも同商会で主に修理を担当していた兄教雄および妹玲子とともに家族五人で生活していたが、昭和三八年九月ごろ、家人に無断で東京に出奔し、同都内で自動車会社のセールスマンなどとして稼働した後、同年一二月ごろ、両親の許に帰えり、それからは再び右商会で専ら自動車の販売を担当する一方、そのころ、父親広次を代表取締役、兄教雄を専務取締役とし、自動車販売、修理を目的として資本金二〇〇万円で設立された山川自動車工業株式会社においても販売面に従事し、同社の正式の役員にはなつてはいなかつたものの、従業員からは「常務」と呼ばれ、兄教雄とともに将来父の跡を継いで前記商会および右工業の責任者としての地位が約束されていた。この間、被告人は、学業成績もおおむね中以上に属し、高校在学中のころより、柔道や唐手を好み、とりわけ、柔道は在学中に初段の段位をとり、柔道部の主将をつとめるなどこれを得意としたが、一方推理小説を愛読して犯罪に興味を持ち、その性格は、短気でわがままで虚勢をはるところもあり、小心な反面、他人にはできないことをやり遂げうるという優越感が強い面もあつた。その後、同市内の「バー」に勤めていた中村正子と知り合い、両親の強い反対を押し切つて内縁関係を結び、昭和三九年九月ごろ、両親には無断で、肩書住居地において同棲するに至り、同年末になつて両親も漸くその仲を許しはしたものの、なお正子をめぐつて両親との間にはしつくりしない面も残つていた。ところで、同年一〇月には、父広次の長年の夢であつた前記工業の修理工場が、同市新崎字七丁割三四三一番地に完成し、これが建設費用などで同工業および父広次がかなりの負債をかかえるようになつたが、その返済計画も確立し、前記商会および同工業を含めて、山川自動車の事業は当時の経営状態も決して悪くないばかりか、その将来にも悲観的なものもなく、被告人も右商会から月給として三万五〇〇〇円宛を支給され、他に母親から小遣、外交費の名目でその都度援助を受けており、妻正子との生活は苦しいということはなかつたが、そのころより、胆のう炎ないしは胆石などの疑いのある持病を持つていたこともあつて次第に右商会や工業に顔を出すことは少なくなつていた。

二  本件犯行に至る経過

被告人は、父広次が当時建設中であつた前記新崎所在の修理工場に右工業や商会の資金を全て注入し、将来は、同工場に移転してここに山川自動車の主力をおこうとして、商会には力を入れようとしない経営方針にかねてより強い不満を持ち、将来の山川自動車の確固たる基盤を作るには、結局は父広次が考えているように、いずれは右新崎工場が中心とならなければならないとしても、これが整備、充実には、ここ暫くは販売を中心にして充分の資金を得たうえでこれを投入すべきであること、そして、そのためには、当時飽和状態となつていた自動車の販売を克服するために是非必要なアフター・サービスにも、同工場は新潟市内の中心から遠距離にあつて不便であり、一方同商会は人員も少なく設備、建物も悪くてこれが十分出来ないところから、旧新潟市内にあつて地理的条件にも恵まれている前記南多門町所在の商会に資金を投入して充実、拡張し、これに加え、これまで全車種の販売を取扱つていた営業方針を改めて車種を限定し、特定のメーカーと提携するなどの方法を採用して、同商会の販売を強く押し進めて行くことが必要であり、またそうしなければ将来の山川自動車の発展はないものと考え、さらに右商会に資金を投入するにしても同商会の工場の敷地は他人のものであることなどから、むしろ、できればその附近に土地を購入して新しく工場を建設した方が得策であるとの意向を抱き、そのためには、少くとも土地の購入費用として三〇〇万円、工場建設費用として二〇〇万円、その設備費用として二〇〇万円、合計七〇〇万円が必要であると考えるに至つた。そこで、被告人は、右商会の工場の改装方を父親にも進言したが、これを真剣に取り上げて貰えず、自らこの資金を作ろうとして昭和三九年一一月ごろには東京に赴いて知人から融資先の紹介状を貰い、これを携えて福島県郡山市にある福島県信用組合に行つて、同組合理事長などに山川自動車の事業経営が極めて順調である旨誇大に吹き込むなどしてまず取引の下地を作り、両親には同組合より七〇〇万円の融資を受ける話ができたとうそを云つて、これに必要な書類の作成方を懇請したが、大金の割には余りにもうまい話に不審を感じた両親から軽くあしらわれたこともあるなどして前記資金の入手方に腐心していたものの、自己には他から融資を受けるに必要な担保物件もなく、さりとて両親には自己の事業経営に対する構想を理解して貰えず一人で悶悶としていた。しかも、前記のとおり、同年一〇月ごろからは持病の発作に悩まされ、新潟市内の二か所の病院で三人の医師から治療を受け、この間入院することもあつたが、胆のう炎の疑いがあるものと一応は診断されたものの、はつきりとした病因がつかめないまま、治療の効果もさしてあがらず、その後もときおり腹部等の激痛におそわれ、その病状は思わしくなかつたところ、昭和四〇年一月一日夜、たまたま肩書住居で発作をおこし、またその夜、自己が死んだ夢を見て、はては、いまのままで死にたくないとうわごとを云つたと聞くに及んで、これまで病因もはつきりとせず病状も漸次悪化しているように思われたことなどもあつて、不吉な予感におそわれ、自己の寿命は長くないと、思うようになり、たまたま、その年が自己の「えと」である已年でもあつたことから、なかば追いつめられたような気持となりその年のうちに、何としても早く前記のような構想を実現し、病弱な父親に代わり自己の手で山川自動車の確固とした基盤を作りあげ、自己が死んだ後、一人で残る妻正子のためにも、どうしても七〇〇万円を早急に入手しようと強く思いつめるに至つた。しかしこのような大金を他から融資を受けるなどして自分の手で作ることはとうてい不可能であると思いを致し、金に執着する余り、同年一月八日ごろ、遂にこうなつては人を誘拐してその家族などから身代金をとろうと思いつき、その手段方法、とくにわが身の安全を図りながら確実に身代金を入手しうる方法について思いをめぐらしているうち、かつて、新潟市内の映画館で観たことのある映画「天国と地獄」を思い出し、この映画の筋のうち、誘拐犯人が列車の発車間際に電話で、拐取した子供の親に列車に乗るよう指示し、その子供を目印に列車の中から金銭を投げるという点をヒントにし、列車への乗車指示の時間が列車の発車時間の間際であればあるほど警察官の捜査も困難になることから、これを利用し、金銭投下の目印には子供の代わりに動かない旗を使用しようと考えるに至つたが、その際犯行の具体的な日時、場所、対象等については未だこれを決めるに至らなかつた。被告人はこのような計画を考えてみたものの、成功の可能性も少く諦めようとしたり、また、反面、自分であれば成功するかも知れないなどと考えたりして種々思い悩み、爾来このことが念頭から去らなかつた。

三  本件各犯行

被告人は、

(一)  昭和四〇年一月一三日、当時自己の業務用に使用していた父広次所有の普通乗用自動車プリンスグロリヤデラツクス(新5せ31-31)を運転して、妻正子とともにその実家に赴き、一旦帰宅して、同女を近くの銭湯まで送り届けたあと、一人で同自動車に乗つて、前記のような山川自動車の構想のことなどについていろいろと思いめぐらしながら運転しているうち、同市西大畑五二二〇番地折戸マン方とはこれまで、五泉市内に居住してメリヤス販売会社折戸商店を経営する右マンの三男善衛を通じて、右同女方よりデザイナーとして同店に通勤していたその三女紀代子に自動車を販売したことがあつて、右五泉市内の同店や右マン方に赴いたこともあり右紀代子らと二、三回逢つたことがあるなど、自動車販売、修理を通じて交渉があり、同家が右会社のほか、他にもガソリンスタンドを経営するなどかなりの資産家であることを知つていたことから、遂にかねて考えていた誘拐の計画を右折戸家を目当てに実行しようと思いつき、同家の家人を誘拐して、同家より身代金を出させようと考え、同市寄居町三四二番地先の公衆電話ボツクスに赴き、同日午後八時三〇分ごろ、右公衆電話から前記折戸マン方に電話をかけ、電話口に出た同女やこれと代つた前記紀代子に対し、「警察の交通課のものだが、お宅の車が日赤の横の増田さんの玄関の前をふさいで邪魔になつている。お宅の車はクラウンですね。お宅の車でないというのなら、そのことを確認してくれ」とうそを言つたうえ、前記自動車を運転して、犯行を実行すべきかどうか、なかば迷いながら、前記折戸家附近およびその周辺を徘徊し、同家より家人が出て来るのを待ち受けているうち、同日午後八時五〇分ごろ、同市営所通二番町五九二の四番地寄居中学校附近路上において、右のいつわりの電話におびき出されて日赤の横の増田英子方に赴いたあと、帰宅途中の前記紀代子(昭和一六年一月一三日生)を前方に発見するや、ここに同女を誘拐しようと企て、同女の安否を憂慮するその近親者の憂慮に乗じてその財物を交付せしめる目的をもつて、同女に追いつき、偶然に逢つたようにして自動車を停め、同女に対し、「お宅の車のことで来たのです。そこまでどうです。」などとうそを言つて、あたかもそのころ、話が出ていた前記折戸家に販売した自動車の買戻しの用件のため、同家に赴く途中であるように装つて、これと誤信した同女を誘い自己の運転する自動車の助手席に乗せたうえ、同所を発し、同女に対し、「お茶でも飲みながら話をしましよう。」などと言葉巧みに話しかけたりしてそのまま同女を右自動車に引き留めたうえ、同市内を約一時間にわたつて運転し、これを自己の支配下におき、もつて、同女を拐取し、同日午後九時四〇分ごろ、同市内の公衆電話ボツクスから、同女を右自動車内に待たせたまま、同女の安否を憂慮する前記マンに対し電話をかけ「娘さんを捕えておくから、明日の朝一〇時までに七〇〇万円揃えておけ。サツに言つたら命なんかないぞ。」と怒鳴りつけるように言い、さらに後記(二)記載のとおり同女を殺害した後、翌一四日午前一〇時すぎごろ、前記のような金銭投下の目印の旗に使用するため、同市本町一三番町三〇三六番地「斎藤呉服店」こと斎藤秀治方において赤い布切れ(七二センチメートル×約二メートル二三センチメートル)一枚(前同号の四九、五〇)を買い求めたり、新潟駅構内に赴いて前記計画にしたがい利用する列車の時間を調べこれを午後一時二七分新潟駅発越後線柏崎行と決めるなどして右七〇〇万円の受け取り方の準備を整えたうえ、同日午後零時一〇分ごろ、同市内の委託公衆電話(赤電話)から、前同様右紀代子の安否を憂慮する前記マンに対し、電話をかけ、「娘は倉庫の中にぶち込んである。金さえ貰えれば帰してやるよ。あんたがいうこと聞かなきやそれでいいんだ。一時までとにかく新潟駅の待合室に金を持つて来るんだな。」などと言い、その後前記自動車を運転して同市西堀前通り二番町七一四番地飲食店「キツチンヤマこと山田重裕方において食事をした後、同附近で知人福本孝夫と逢い、さきに決めた列車の発車時間のすぐ前までに人に逢つておればアリバイにも役立つという考えもあつて、同日午後一時ごろまで同人と世間話をしたあと同日午後一時一二分ごろ同市内の公衆電話ボツクスから新潟駅案内所係員に電話をかけ、折戸家の者を呼び出してくれるよう依頼し、前記紀代子の安否を憂慮し、身代金をもつて同駅構内に来ていた同女の実兄前記善衛が電話口に出るや、同人に対し「いいか、これからいうことをきいて間違いなくするんだぞ。娘の居場所は後で電話する。これから五番線から柏崎行の列車がすぐ出る。線路をすぐ見ていろ。途中で赤い旗が立つている。そこで金を投げろ。」と指示するなどし、もつて、前後三回にわたり、右紀代子の安否を憂慮する近親者の憂慮に乗じてその財物を要求する行為をした。

(なお、その後、前記自動車を運転して日本国有鉄道越後線沿線の同市下所島五八番地甲小池一栄方附近路上に赴き、同日午後一時三〇分ごろ、同路上において前記自動車内に置いてあつたつなぎ釣竿のうち元の方の二本(昭和四〇年押第二二号の五一、五二、五三)をつなぎ(長さ約二メートル)これに前記赤い布切れよりひきさいた縦約五三センチメートル、横約七二センチメートルの布切れ(前同号の五〇)を旗のようにとりつけこれを雪の上に立てたうえ姿をかくして待機していたが、指定した列車からは身代金は投下されなかつたため、附近に前記の釣竿部分を捨てて逃走した。)

(二)  前記のとおり、同月一三日午後九時四〇分ごろ、同市内の公衆電話ボツクスより折戸マンに電話した後、前記紀代子を前記自動車の助手席に乗せたまま運転しているうち、同女の処置につき、あれこれ思い悩んだものの、同女とは顔見知りであるうえ、すでに前記のとおり身代金要求の電話をした後であつたことから、このまま同女を生かして帰せば事が露見するものと考え、こうなつては同女を殺害するほかはないと決意したが、そのきつかけがつかめないまま同日午後一〇時ごろ、同市関屋海岸一の一〇新潟県警察学校射撃場入口附近道路(通称射撃場道路)まで赴き同所で停車し、車内で前記自動車の買い戻しの話などをしているうち、そのことについて同女が被告人の態度に商売人としての誠意がないなどと被告人をなじつたところから、この機会にとばかり、やにわに、運転席から、助手席にいた同女の咽喉部を左手刀で強打し、失神して倒れた同女を後方から抱きおこして左腕でその頸部を扼したうえ、さらに右自動車内のダツシユ板から長さ約五メートル、巾約七センチメートルの耳つき包帯一本(前同号の一)を取り出し、気がついてかすかに「山川さん」と叫ぶ同女の頸部を、右包帯で二条にして二回巻きつけて前頸部で強く締め、よつて同女をすぐその場で窒息死せしめ、もつて、殺害した。

(三)  その後、同女の死体を右自動車の後部トランクに押し込んで蓋をし施錠して隠匿していたがその処置に窮し、翌一四日午後五時二〇分ごろ、右自動車を運転してこれを前記射撃場入口附近道路上まで運搬したうえ、同道路上に放置し、もつて死体を遺棄した、

ものである。

第二証拠の標目<省略>

第三弁護人および被告人の主張に対する判断

一  弁護人および被告人の主張の大要

弁護人および被告人は、本件は被告人の単独犯行ではなく、被告人は他の犯人に脅迫されて行動を共にしたにすぎないとして、大要を次のとおり主張する。すなわち「被告人は、自己の自動車に折戸紀代子(以下「被害者」という)を乗せて運転し、あるいはその死体を自宅附近まで運搬したことはあるが、被害者を誘拐してこれを殺害し、そのうえ身代金を要求し、その死体を遺棄したのは「リユウ」、「高橋」、氏名不詳の男、某の行為である。「リユウ」と「高橋」は、かつて、被告人が東京都内で「リユウ」とその仲間のものと喧嘩をした際、同人らに傷害を負わせたことに因縁をつけて、かねてより被告人を脅迫していたものであつて、被告人が自己の自動車に被害者を乗せたりその死体を運搬したのは、「リユウ」「高橋」の命令によるものでありこれを拒否すれば自己やその家族に危害が及ぶ虞れがあつたため、反抗しえなかつたものである。本件犯行の謀議は、新潟駅前において、自己の自動車の中で、被告人を前にして前記三人によつてなされたものであり、被害者を誘い出したり、身代金要求の電話をかけたのは「リユウ」「高橋」らであり、これを殺害し、その死体を遺棄したり、また旗を立てるのに必要な釣竿を購入し、あるいは身代金投下の目印の旗を線路のそばに立てかけたのは「高橋」であつて赤旗に使う赤い布切れは被告人が「高橋」の命令で購入したものである。」というのである。しかして、弁護人松木明は、本件は被告人に意思決定の自由がなかつたものであるから、被告人は無罪であるか、あるいは従犯にすぎないとし、弁護人林隆行は、その謀議の内容から被告人には死体遺棄の共同正犯が問われるにすぎないものと主張し、さらに、弁護人は被告人とともに本件における被告人の検察官および司法警察員に対する本件犯行を自供した各供述調書(以下、「被告人の自白調書」という。)は任意性、信用性がないとあわせて主張する。

しかしながら、当裁判所は、本件では次に認定する(一)ないし(十五)の間接事実(状況証拠)が存在することと、被告人の自白調書がいずれも任意になされ、かつ、信用できる供述を内容とするものであることを理由に本件はいずれも被告人の単独犯行であると結論するのであるが、以下この点について順次説明および検討を加える。

二  当裁判所の認定する間接事実(証拠説明を含む)

(一)  被害者の死体が、本件普通乗用車プリンスグロリヤデラツクス(以下、「本件自動車」という)の後部トランク内に隠され、かつ本件自動車によつて現場まで運搬され遺棄された事実

1 被害者の死体が本件自動車後部トランク内に隠匿されていた事実

すなわち、本件発生後昭和四〇年一月一九日新潟市南多門町二三〇七番地山川広次方において差押えられた本件自動車後部トランク内より採取された資料と判示三の(三)認定の場所に遺棄されていた被害者の身体および着衣より採取された資料とを比較検討してみると、

(1)  被害者の死体の顔面および当時着用していた半オーバー、スラツクスには白い屑ようのものが付着しており、これと本件自動車内の後部トランク内にあつた新聞紙ようの繊維屑とはいずれも湿つた新聞紙が物体との摩擦によつて生じた同種のものであつて、また被害者の左顎部(二片)、左鼻下部(四片のうち二片)、左口角部(三片のうち一片)の新聞紙片と右トランク内のマツト上にあつた紙片(一片)とはその文面および活字の特徴点からみていずれも昭和三九年一二月二二日火曜日日付の同じ読売新聞紙の切片であることで共通し、そのうち被害者の左顎部に付着していた一片と右トランク内にあつた一片とは隣接した紙片であり、(しかも後記認定のように、被告人が同市下所島三二〇番地先道路脇水田に遺棄した右トランク内にしいてあつた新聞紙も右と同じ日付の同じ読売新聞の一部であつて、そのうちの二片と被害者の左鼻下部に付着していた二片とはその文脈が通じかつその縁辺の一部が殆んど完全に接合している。)いずれにも被害者と同じA型の血液反応があること、被害者が着用していた半オーバー右袖に付着していた黒褐色の繊維ようのものと本件自動車の後部トランク内より採取されたマツト屑にはいずれも繊維と柔細胞群とが認められ、簡単な解離作用を経たいわゆる粗繊維であつて麻類と認められ、そのうえ両者は二ミリメートル位の繊維、短繊維長繊維の混合品であるという同様の所見を有しており、したがつて両者は酷似していること、

がそれぞれ認められ、以上の事実から、被害者の死体が本件自動車の後部トランク内に隠匿されていた事実はまことに明らかである。

(右の事実は、前掲甲八ないし一〇、一五、二一、二二、五二ないし五四、六四、六五、六八、六九、七四、七五、八〇、八六、八七、一〇一および一〇二ならびに前掲昭和四〇年押第二二号の八ないし一〇、五五ないし六〇および六四ないし六六によりこれを認めることができる。)

2 被害者の死体が、本件自動車により運搬され、判示三の(三)に認定の場所に遺棄された事実

すなわち

(1)  右死体遺棄現場からは、数種類の自動車輪跡が発見されたが、このうち輪跡の重複状態から、死体が発見され、間もなく、警察官がかけつける迄の間に同所附近を一番最後に通過したものと認められるのは、右現場道路上に遺棄されていた死体をはさんで続いていた後部車輪に鎖をつけた自動車の輪跡(右道路を東方より西進し、死体遺棄現場より約一五〇メートル先の十字路で右折して方向転換し、折り返して右道路を逆に西方より東進しているもの)であることが判明し、右鎖付き自動車の輪跡を右現場において測定し、さらに石膏によりこれを採取し、そのうち、左右後輪輪跡五個、左右前輪輪跡三個につき鑑定した結果、

(イ) 前輪輪距(一・三八〇メートル)、後輪輪距(一・四〇〇メートル)、タイヤサイズ(七、〇〇-一三)の規格からしてその該当車種はプリンスグロリヤしかないこと、(ただし道路上の軸距は二・六四〇メートルで本件自動車のそれより四センチメートル小さくこれは前輪の変向による差異と思われるが、この差異は実験により可能な範囲に属する。)

(ロ) しかもそのタイヤ型種(模様)および前記タイヤサイズは、本件自動車の後輪二本(グツドイヤータイヤ、デラツクススパークツシヨン)においてともに一致し、

前輪二本(トーヨータイヤ、ドリームマスターデラツクス)においてはタイヤサイズが一致しタイヤ型種は類似していること、

(ハ) 後輪の輪跡のチエーン跡は本件自動車内後部トランク内より発見された二本のチエーンとは、そのクロスチエーンの桁数(一一本)が符合し、コマの個々の形状、大きさ、コマの総体的な磨滅度合などがきわめて類似していること、

(2)  本件自動車は昭和三九年一〇月八日、小千谷自動車学校が、新潟臨港海陸運送株式会社に売り渡し、さらに同月一五日同会社より前記山川自動車商会に売り渡されたものであるが、前記前輪二本のトーヨータイヤはすでに右自動車学校において取り付けていたものであり、前記後輪二本のグツドイヤータイヤは右会社が本件自動車を右山川自動車商会に売り渡した際これに取り替えて付けたものであること、

がそれぞれ認められ、以上の事実から、被害者の死体が本件自動車によつて運転された上判示場所に遺棄されたことが明らかである。

(右の事実は、前掲甲一二、一八、四四、四六、四九および五〇<以上(1) の事実>、ならびに前掲甲三二〇、三二二、三二五、三二八、三二九、三三〇および四四八<以上(2) の事実>によりこれを認めることができる。)

(二)  被告人が本件当時(昭和四〇年一月一三日、一四日両日、以下同じ)、本件自動車を自ら運転し、かつ管理していた事実、

すなわち、本件自動車は、前記のとおり被告人の父広次が山川自動車商会に中古車として購入したものであつて、当初は同商会に置いて右広次らが使用していたが、昭和三九年一二月中旬ごろ、同市新崎字七丁割三四三一番地所在の山川自動車工業株式会社の工場に修理のため移し、同工場で保管していたところ、昭和四〇年一月一〇日ごろ被告人がそれまで使用していた自動車(ニツサン・ブルーバード)と交換して之を肩書被告人宅にもち込み、以来同月一五日夜母親山川ミスが之を右商会にひきあげるまで、本件自動車は被告人が運転し、かつ、これを管理していたこと

(右の事実は、前掲証人大湊悦栄、同山川教雄、同柳瀬重雄の当公判廷における各供述、ならびに前掲甲七、一七八、一八二ないし一八四、一八七、一九〇、一九二、一九五、一九九、二〇一、二〇三、二〇六、二一七、三四九、四二八、四三二、四四二ないし四四四、四四六、四五一および四六一によりこれを認めることができる。そして、被告人が本件犯行当時、本件自動車を運転し、かつ管理していたことは当公判廷において被告人も終始これを認めている。)

(三)  被告人が、被害者の失踪した後被害者を本件自動車の助手席に同乗させ運転していること、

すなわち後に認定するごとく、被告人は昭和四〇年一月二九日の検察官の取調に際し、被害者を誘拐するため本件自動車の助手席に乗せたがその際被害者より、スキーに行つてスキーの講師の父親からスキーを滑りやすくして貰つたという話をきいた旨供述し、その後捜査の結果右供述と合致する事実が判明したもので、右被告人の供述が捜査官側の誘導によるものとは認められず、被告人においてその以前に右事実を知り得る機会があつたとは考えられないことから考えると、被告人が被害者が失踪した一月一三日午後八時三〇分ごろ以降本件自動車助手席に被害者を同乗させて運転していた事実は充分これを推認し得る。(被告人が被害者と本件自動車に同乗したこと、被害者が助手席に坐つていたことは、当公判廷において被告人も終始これを認めている。)

(四)  本件自動車の助手席の背あての部位に数ケ所、助手席の左側ドアの内側に一か所人血が付着しており、いずれも血液型はABO式でA型で、特に前者の血液型とはMN式でM型らしく思われ、被害者の血液型AのM型と一致する事実、

(右の事実は、前掲甲二一、五七、七三および八七によりこれを認めることができる。)

(五)  被告人が本件当時(ワイシヤツについて一月一三日か一四日かについて争いがあるがその点は別とする。以下同じ)着用していた背広の右袖裏部の二か所、ワイシヤツの左脇胸、左肩下、背中の各部に合計一〇か所に人血が付着し、ワイシヤツに付着した人血の血液型は被害者と同じA型であること、

(右の事実は、前掲第二回公判調書中の被告人の供述部分、甲一〇〇ならびに前同号の四七および六三によりこれを認めることができる。)

(六)  被告人が本件当時着用していたワイシヤツの右袖口に被害者の血痕が付着したので、同年一月一五日右袖口部分を切りさいて前記新崎工場の便所内にすてている事実、

(右の事実は、前掲被告人の第二回公判調書中の供述部分、甲二四一、二四二ならびに前同号の四六および六三によりこれを認めることができる。)

(七)  本件死体遺棄現場には被告人が本件当時履いていたハト印ゴム半長靴の足跡が遺留されていた事実

すなわち、前記死体遺棄現場には、死体発見当時死体を中心として長靴ようの足跡が認められたが、死体より東方一三・九メートルの間の足跡一二個、西方七・八五メートルの間の足跡五個につき石膏によりその足型が採取され、そのうち被害者の死体頭部附近に印象された西向きの足跡と被告人が、右死体の発見された同年一月一四日の以前である同月一二日新潟市古町通八番町一四九二番地はき物店「中屋」こと中村敕方で購入し、その後後記のとおりこれを棄てるまで履いていたハト印ゴム半長靴(カスタムシヨート長靴、柴田工業株式会社製、サイズ二四・五、旧一〇文三分)の左片方とは、形態検査、測定検査の結果、形態上、寸法上一致しておつて同一型種、同一サイズのものであり、しかもその底部もほとんど磨滅しておらず、靴底にイボ状の丸い凸起物がいまだ付着している使用後間もない新品同様の靴であることで共通していること、

(右の事実は前掲甲一二、一八、四七、四八、二一八ないし二二〇および三四七ならびに前同号の一四、一五、二四および二五によりこれを認めることができる。)

(八)  本件殺人の犯行に供された耳つき包帯は、右犯行当時本件自動車のダツシユ板の中にあり、被告人が以前使用していた包帯である事実、

すなわち、被告人は、昭和三九年一二月初めごろ右手首を痛めた際ギブス代りに包帯二本でしめたことがあり、右包帯二本は当時乗用していた自動車(ニツサン・ブルーバード)のダツシユ板の中にしまつておいたが、その後前記のごとく本件自動車に乗りかえた際、右包帯を更に本件自動車のダツシユ板の中に(或は内一本は自己の運転作業衣の中に)入れて所持していたこと、その一本は耳つき包帯で他の一本は耳つきでなかつたこと、被告人が後に認定するように証拠を湮滅するため一月一五日前記新崎工場の便所の便壺内に投げすてた耳つきでない包帯は右包帯二本のうちの一本であること、以上の点から本件犯行に使用された耳つき包帯は右包帯二本のうちの残りの一本であることが優に推認できる。

(右の事実は、前掲被告人の第二回公判調書中の供述部分、第一〇回公判廷における供述、甲二四〇ならびに前同号の一および四五によりこれを認めることができる。)

(九)  被告人が本件当時、折戸マン方の電話番号(3.-5365)を自ら朱書したメモを、当時着用していた背広上衣内ポケツトの名刺入れの中にいれて所持していた事実、

(右の事実は、甲九四、四三三および前同号の四八によりこれを認めることができる。)

(十)  被告人が本件各犯行に直接又は間接に関連する左記証拠物件を自ら遺棄又は投棄して証拠の湮減を図つている事実

1 身代金目的の拐取、身代金要求の犯行に直接関連するもの

(1)  赤旗と赤い布切各一枚(前同号の四九、五〇)

すなわち、被告人は昭和四〇年二月八日検察官の取調に際し、本件身代金投下の目印に使用した赤旗に用いた赤い布切れとその残り切れ、および当時使用していた白手袋と、被害者の所持していた洋傘を新発田に行く道路脇にすてた旨図面を書いて自供したので、右自供に基いて、同月九日検察官および警察官が被告人が捨てた場所であるという、新潟県北蒲原郡豊栄町大字屋出町八〇一番地先国道七号線道路端附近に赴き被告人を立ち会わせて捜索したところ、斎藤呉服店と記入された包装紙(前同号の四〇)にくるまつた赤い布切れ二枚(七二センチメートル×一メートル七〇センチメートル<前同号の四九>、七二センチメートル×五三センチメートル<前同号の五〇>)が積雪中より発見されたこと、そのうち後者の一枚は一辺の両端が玉結びになつているものであり、両者は断端部が合致しかつ構成繊維が一致するところから、もともと一枚を裂断したものであること。

(右の事実は、前掲甲四九五中の右自供部分、および甲三九、四〇、二五四、五〇九、五一〇ならびに前同号の四〇、四九、五〇によりこれを認めることができる。)

(2)  被害者が失踪当時所持していた女物洋傘一本(前同号の三六)

すなわち、被告人の前記自供に基いて警察官が右女物洋傘を捜索したところ、右洋傘は既に同年一月二三日附近を通行中の細野キソが之を拾得していたことが判明し、かつ右細野キソの拾得場所と被告人の自供にかかる遺棄場所とが一致したこと。

(右の事実は、前掲甲一五六ないし一五八、二六八ないし二七〇および前同号の三六、四三によりこれを認めることができる。)

2 殺人、死体遺棄の犯行に直接関連するもの

(1)  本件自動車の後部トランク内にしいてあつた人血付着の新聞紙一塊(前同号の六一)

すなわち、被告人は昭和四〇年一月二三日の司法警察員の取調に際し、トランク内の死体の下に敷いてあつた新聞紙は一月一五日本件自動車を運転中にすてた旨図面をかいて自供したので、右自供に基いて同月二四日警察官が実況見分したところ、被告人が右新聞紙類を捨てたという場所である新潟市下所島三二〇番地道路脇水田の中より新潟日報(昭和三九年一一月一七日付のものを含む)、読売新聞(昭和三九年一二月二二日付のものを含む)の新聞類各一塊が発見されたこと。(尚、右読売新聞が本件自動車の後部トランク内にあつた被害者の死体の左顎部左鼻下部、左口角部に附着していた新聞紙片と同じ昭和三九年一二月二二日付の読売新聞の切片であり、そのうち二片が被害者の左鼻下部に付着していた二片といずれもその文脈が通じ縁辺の一部が接合するものがあり、又血痕反応があることは既に認定したとおりである。)

(右の事実は、前掲甲四七〇中の右自供部分、および甲三一、六四、六五、八〇、八一、五七九ならびに前同号の六一、六二によりこれを認めることができる。)

(2)  被告人が本件当時履いていたハト印ゴム半長靴一足(前同号の一四、一五)

すなわち、被告人が昭和四〇年一月二五日の司法警察員の取調に際し、被告人が本件犯行当時履いていたゴム半長靴は一月一五日本件自動車を運転中にすてた旨図面をかいて自供したので、右自供に基いて、同月二五日警察官が実況見分した結果、被告人が捨てた場所という同市平島四三の一番地五十嵐弥三郎方先の道路東側信濃川河原でハト印ゴム半長靴の右片方(前同号の一四)、同市小新一二の二番地小林己三郎方先、道路東側堤防下にある側溝の水の中に浮いている同長靴の左片方(前同号の一五)が発見されたこと。(尚、このハト印ゴム半長靴一足は、被告人が、同月一二日に購入したものでありそのうち左片方が前記死体遺棄現場に印象された足跡と一致することは既に認定したとおりである。)

(右の事実は、前掲甲四七一の中の右自供部分および甲四三によりこれを認めることができる。なお前記(七)に掲げた証拠を参照。)

(3)  被告人が本件当時着用していたワイシヤツ一枚(右袖口なし)(前同号の六三)

すなわち、被告人が同年一月二五日の司法警察員の取調に際し、当時着ていたワイシヤツの袖口に被害者の血痕がついたので一月一五日、袖口を切りとつて袖口のないワイシヤツを新崎工場の風呂場に投げておいた旨自供したので右自白に基いて、同月二五日、警察官が同市新崎七丁割三四三一番地山川自動車工業株式会社内を捜索した結果、同工場内風呂場脱衣場壁板内にかけてあつた被告人の白のたて線入り、「山川K」の洗濯ネーム入りの、右袖が切れている白ワイシヤツ一枚(前同号の六三)を発見したこと、右ワイシヤツは右脱衣場に投げ込んであつたのを同月一七日に同工業従業員が右壁板にかけたものであること、(なお、右ワイシヤツには被害者のものと思われる血痕の付着していることは既に認定したとおりである。)

(右の事実は前掲甲四七一のうち、被告人の右自供部分、甲二二八、二三二、二三五および前同号の六三によりこれを認めることができる。)

(4)  ワイシヤツの右袖口一枚(前同号の四六)と包帯一巻(同号の四五)

すなわち、被告人が、同年二月七日の検察官の取調に際し、手袋を新崎工場の便所にすてた旨の自供をしたので、右自供に基いて翌八日検察官が前記新崎工場の便所内を捜索したところ、右便所の便壺内から、手袋一双の外、ワイシヤツの右袖口の部分(前同号の四六)と耳なし包帯一巻(同号の四五)が同時に発見され、これらも被告人が手袋と同時に投棄したことが判明したこと。(尚、右の袖口の切り口が前記のワイシヤツの右袖切り口と一致すること、包帯が本件犯行に使用された耳つき包帯と一緒に、被告人が曽つてギブス代りに使用していたものであること既に認定したとおりである。)

(右の事実は前掲甲四九一のうち、被告人の右自供部分、甲四九四のうち被告人のワイシヤツの右袖口の部分と耳なし包帯も右手袋と一緒に捨てた旨の供述部分、および甲二四〇、二四一、二四三ないし二四五ならびに前同号の四五、四六によりこれを認めることができる。なお、以上の点につき、被告人は包帯については第二回公判廷で、その余の証拠品については当公判廷で終始、自ら証拠の湮滅を図つたことを認めている。)

(一一)  前判示のごとく一月一四日午後零時一〇分ごろ折戸家にかかり捜査官においてテープレコーダーを使用して録音した、身代金を要求する犯人の電話の声が、方言学的見地、音声物理学的見地、および折戸マンの聴覚印象からみて被告人の声と類似していること、

1 鑑定によるもの

(1)  方言学的方法によるもの

新潟大学人文学部教授渡辺綱也作成の鑑定書(甲五八〇)および国立国語研究所長岩淵悦太郎作成の「鑑定結果の回答について」(添付の鑑定書を含む)(甲六〇七)によれば(a)前記第三回目の犯人よりの脅迫電話を録音した声、(b)被告人が実況見分の際に本件各地点を指示説明した際に録音された声、(c)留置中の被告人と警視米沢隆との電話による対話を録音した声につき、専ら、方言学的見地から聴覚印象により、これらの声の同一性ないしは特徴につき鑑定がなされたがこれらの鑑定が共通しているのは、右三つの声がいずれも、そのアクセントの点から東部アクセント、ないしは東北周辺方言の傾向が窺われ、裏日本的特徴を有し新潟方言(たとえばニイガタエキの声にみられるようにその訛音の点からが行鼻濁音が存在しない点で新潟方言の特徴をもつ)に近いというのであつて(被告人は判示冒頭に記載したように殆ど新潟市内で暮していた。)

いずれも右三つの声は「同一人の発生の可能性があり」あるいは「概ね同一人による言語である」との鑑定結果になつている。もつとも当裁判所の証人渡辺綱也に対する尋問調書によれば右の声の音韻的特徴として、「イ」、「エ」の区別が明瞭であると、いうのに対し、当裁判所の証人上村幸雄に対する尋問調書によれば右の声は「イ」と「エ」の区別が明瞭さを欠いており両者が少し近くなつているというのであつてこの点に関する方言的特徴は一致しておらず、聴覚のみにより音声の個人差を十分に弁別することは困難である。

(2)  音響物理学的方法によるもの

東京外国語大学物理研究室秋山和儀作成の鑑定書によると(a)前記脅迫電話を録音した声、(b)前記警視米沢隆との電話による対話を録音した声、(c)本件第四回公判期日における被告人の供述を録音した声についていわゆる声紋等の分析をした結果、右(a)と(b)(c)の各声は「同一人の声と考えられるほどよく似ている同音色、同音声である」と判定する、というのである。ところで、この鑑定の方法は(a)全オクターブ周波数分析器を使用して語頭、語中、語尾の母音を分析し、その成分から各人の個性を判定する方法(第一次区分法)と、(b)サウンドスペクトログラフを使用したいわゆる声紋分析方法、すなわち回転録音板に鑑定資料の会話の部分を録音し、その回転とともに自動的に周波数分析を行いこれを図に記録するものであつて縦軸に周波数、横軸に時間をとり図の濃淡により周波数成分の含有量を示す立体分析(第二次区分法)である。右鑑定によると、まず右の第一次区分法からは前記(a)(b)(c)の三つの声から「(ア)」母音を取り出して分析した結果、いずれも「(ア)」母音を構成するに必要な二つの周波数成分域(フオルマントゾーン)が全く同じであること、次に第二次区分法からはまず右の母音が声紋分析によつて記録された図の濃淡(ボリユーム)から、二つの周波数成分域の位置およびその空間の程度(空間がないのが日本人の七〇パーセントであつて空間があるのは完全な個性を示している)において共通点を示していること、また前記(a)と(c)の各声について「モシ、モシ」という言葉を図示された周波数成分の濃淡から見ると「モシ」の「オ」母音から「シ」の子音への動き方それに伴つて出る「イ」母音の第二周波数成分域の存在していることが一致し、これらのことから前示のような結論が出されているものである。もつとも、前記鑑定書および右秋山鑑定人の当裁判所に対する尋問調書によると右第一次区分法につき五〇人の中から一人を区分することができるというのであり、また第二次区分法は一〇〇八のデーター提供者のデーターにそのうち一人の音色のデーターを混ぜてもその人物をより分けることができるというのであるが、声紋による声の鑑定は日本においては研究が始つてまだ日が浅くその分析件数が鑑定当時において周波数分析につき二〇〇〇件、声紋分析につき一〇〇〇件にすぎず、法的に証拠として認められるために極めて多数の分析がなされ誤差率が一兆分の一といわれる指紋と比べるとその分析件数が極めて少いところから、前記鑑定によつても前記(a)の声と(b)(c)の声が、同鑑定人自らも供述しているとおり指紋と同じ精度をもつて同一人の声である、と断定することは困難である。

2 犯人より電話を聴取した折戸マンの聴覚印象によるもの

折戸マンの司法警察員に対する供述調書(甲一〇九)によれば、同人は、犯人と思われる者から、昭和四〇年一月一三日午後八時三〇分ごろ、同日午後九時四〇分ごろ、翌一四日午後零時一〇分ごろの三回にわたつて電話を受け、その者と直接対話し、同日午後一時一二分ごろ駅にかかつた第四回目の電話は受話器のすぐ傍らで犯人と折戸善衛が話す声を聞いていたが、いずれも同一人の声であると供述し、また被告人と警視米沢隆の電話による対話の録音の中の被告人の声は第一ないし第三回の電話の声といずれも音質が非常によく似ており、さらに話す癖が似ていると供述している。(もつとも折戸マンの検察官に対する供述調書(甲一一二)によると右第一回の電話と第二回のそれとは同一人のものとは思われない旨の供述があり、その理由として第一回の電話は非常にていねいな声であり第二回目は非常に乱暴であつたことをあげているが、その後、前記被告人と警視米沢隆の電話による対話の録音を聞くにおよんで、同録音中で被告人が大声で返事をしている部分が右第二回および第三回の電話の声に似ていると気がついたと述べており、当公判廷においても、第一回の電話と第二ないし第四回の電話とはていねいに云つた声と荒つぽく云つた声の相違だけで同じ声であると供述している。)

以上各鑑定の結果および折戸マンの供述を総合すると、一月一四日午後零時一〇分ごろ犯人と思われる者から折戸家にかかつて来た電話の声は被告人の声とは断定できないが類似しているものと認めるのが相当である。

(一二)  前判示のごとく一月一三日、一四日の両日にわたり折戸家にかかつて来た三回にわたる犯人の電話の声と、一月一四日新潟駅案内所にかかつた犯人の電話の声は同一人の声で被告人の声に似ていること、

すなわち、折戸善衛の検察官に対する供述調書(甲一二六)によれば同人は同日午後一時一二分ごろ、新潟駅案内所にかかつて来た第四回目の犯人からの電話の声は、右第三回目の声と非常に似ている旨供述している。そして、右供述と右(一一)の認定事実、および前記折戸マンの当公判廷の供述および前記供述調書中の、第一回ないし第四回の電話は被告人の声に似ている旨の供述とを総合すると、一月一三日、一四日の両日にわたり折戸家にかかつて来た三回にわたる犯人の電話の声と一月一四日新潟駅案内所にかかつた犯人の電話の声は同一人の声で被告人の声と似ているものと認めるのが相当である。

(一三)  前判示のごとく身代金投下の目印のために赤旗が立てられた小池一栄方前路上附近を、犯人が指定した列車が同所を通過した後である午後一時四〇分頃、被告人と酷似した男が徘徊し、身代金投下の目印に使用したと思われる釣竿を折つて捨てていた事実、

小池一栄の第三回公判調書中の供述部分、同人の検察官に対する供述調書二通(甲六七三、六七四)、同人の司法警察員に対する供述調書三通(甲六七〇、六七一、六七二)によると、同人は「昭和四〇年一月一四日午後一時四〇分前後ごろ、新潟市下所島五八番地の自宅で車庫の雪降しをしていた際、同所から約四〇メートル離れた日本国有鉄道越後線に沿う道路から自宅専用の路地に入つて来る年令二四、五才位の若い男を路地から三分の一位入つたところで目撃した。その男は右路地を進んで前記車庫の中に黙つたまま入りそこから再び前記道路に引き返して一旦新潟駅方面に向い附近のわらにおのかげのところに行き、さらにこんどは逆に右道路を白山駅方面に向つた。その際その男は竹竿を二回折つていた。」と供述し、その若い男につき、前記供述部分では、「被告人に似ている」と供述しているが、前記供述調書中では面通しの結果「被告人に間違いないと確信が持てた。」とさえ述べている。ところで前記各証拠によると、右小池は、その路地が同人方居宅の専用の道路であつたことからこれに入つて来た男を不審に感じ、注視しており、三メートル位離れたところで顔を見合つたというのであり、この男の人相、体格、着衣、長靴や、さらにその後の異様な行動をも実に事細く観察し記憶していたのであつて、その記憶も新らしい翌日警察に屈出、同月一九日、いまだ被告人が逮捕されないうちに警察で示された一四枚の写真の中から似ている男の写真を三枚とり出したうえ、そのうちの被告人の写真を特に似ている旨指示し、警察や検察庁における面通しの際にも年令、体格、身長の特徴が同様であり、顔も見覚えがある旨供述していること、とくに被告人は後記のとおり当日は同月一二日買つたばかりの真新しい長靴をはいていたところ、同人は新しい長靴をはいていたのが印象に残つたと供述していること、また目撃したとおり、その後同所附近で発見された釣竿(前同号の五一ないし五三)は二か所が折れていたなど客観的事実に符合していることが認められるから右小池一栄の供述は全体として極めて信用性の高い供述といわなければならない。

(なお、昭和四〇年一月一八日付新潟駅より赤旗発見地点までの列車の所要時間測定についての報告書(甲一三六)、古田島留松の司法警察員に対する供述調書(甲五八八)によれば同所は、新潟駅から気動車で約二分一二秒前後の場所であつて、折戸マン、同善衛が赤い旗を目撃した場所に近く、犯人が指定した同月一四日新潟駅発午後一時二七分の越後線柏崎行の気動車は当日は一分遅れて午後一時二八分に新潟駅を発車しているのであつて、前記地点を同日午後一時三〇分ごろ通過していることになることが認められるから、前記小池が目撃したのは現場附近を右気動車が通過した後さほど時間が経過していない頃であつたことは明らかである。)

(一四)  右釣竿を一月一三日午後六時ごろ新潟市東堀前通九番町釣具店風間政美方で、被告人と似た男に販売している事実、風間政美の第三回公判調書中の供述部分、同人の検察官に対する供述調書(甲六八六)、同人の司法警察員に対する供述調書三通(甲六八三、六八四、六八五)によると、同人は「昭和四〇年一月一三日午後六時ごろ、三〇才位の男が釣竿を買いに来たのでこの釣竿(前回号の五一ないし五三)を売つた。その男は竿の先の方はいらない、元の方だけくれといつた」と供述し、同人もその若い男について被告人が逮捕される前日に警察で示された七枚の写真の中から被告人の写真をとり出し、顔の輪郭からこれに似ていると指示し、被告人が逮捕された後の面通しの際にも被告人に間違いない旨取調官に供述しており、右供述は現場に遺棄された前記釣竿等が本件発生直後に発見され、之に基いて末だ犯人逮捕以前に喚起された記憶に基いてなされた供述であるから、この点で充分に信用できる供述であるといわねばならない。

(一五)  身代金投下の目印のための赤旗に使用したと思われる前記赤い布切れ(前同号の四九、五〇)を一月一四日午後一〇時ごろ、新潟市本町一三番町三〇三六番地斎藤呉服店こと斎藤秀治方で被告人が購入している事実、

右の事実は金子トモ子の司法警察員に対する供述調書二通(甲一八二、一八三)同人の検察官に対する供述調書三通(甲一八七、一九〇、三四九)により明らかであつて、この事実は被告人も第五回公判廷において之を認めている。

以上の各間接事実はいずれも被告人の捜査段階における自白調書を除いた爾余の証拠から認められる事実であつて、これらを総合すれば本件犯行の動機、被害者誘拐の場所と方法、被害者殺害の場所、電話をかけた場所、赤旗を立てた明確な地点等の点を除き、被告人が前判示のごとく折戸家に電話をかけて被害者を誘拐し、更に被害者の安否を憂慮する折戸マンおよび折戸善衛の憂慮に乗じて身代金を要求する電話をかけ、同人らを新潟駅に呼び出して列車に乗車せしめ、前判示場所附近で自ら赤旗を立てて身代金投下を待機し、他方前判示のごとく被害者を殺害してその死体を前判示場所に遺棄した犯人であることを優に推認し得るのであるが、本件が被告人の単独犯行であるかどうかについて判断するためにはさらに進んで被告人の自白調書の任意性および信用性につき検討を加えねばならない。

三  被告人の司法警察員および検察官に対する自白の任意性の有無および信用性の程度の判断

(一)  自白の態様

被告人の自白調書は、被告人が逮捕された、昭和四〇年一月二〇日(ただし同日付のは弁解録取書)から同年三月二日までの被告人の供述を録取したものであつて、その経過を追つてみると、逮捕された当日の右弁解録取書では犯行を否認し、翌二一日付の司法警察員に対する第一回供述調書では病気を訴えて積極的な供述をしていないが、同日付第二回供述調書から本件犯行を認めるに至りその後後段にのべる事項について若干供述の変遷がみられるがおよそ判示のような動機、目的で被害者を拐取し、脅迫電話をかけ、身代金を要求し、赤旗を立てて待機し、また被害者を殺害してこれを遺棄したという基本的犯行内容については最後まで一応一貫して自白している。

(二)  自白の任意性の有無

被告人は、当公判廷(第六回公判期日)において、捜査官より強制、拷問、脅迫、不当な誘導等違法な取調があつた旨供述しているが、その大要は次のとおりである。すなわち、「逮捕された当時被告人は持病による腹痛があり相当体が衰弱していたが、その当時とくに初期における新潟刑務所での取調の際、これに当つた新潟中央警察署刑事官警視米沢隆、同署警部補(当時)久我二一の二名が被告人の髪の毛を掴んでひきずり倒したり、腹を手で突いたりし、肩をつかんでゆさぶつたり親指で顎を突いたりした。また、殺人の取調の際には、これに当つた久我警部補が言葉だけで通じるのに、これを実演するようにして、手で声が出ないほど被告人の首に力を入れてまいたこともあつた。さらに、釣竿の購入当時の状況、電話の内容、犯行に使用された包帯などの取調の際には、これに当つた久我警部補が予めその内容を繰り返して教えたうえ、それを供述するように誘導しあるいは強要し、被告人の供述に対し、「嘘つきめ」「偽善者め」と罵言、雑言をあびせたり凄んで見せたりした。その結果、被告人は嘘の自白をした。検事安田忠の取調の際には強制、拷問は受けなかつたが、その当時終始体の具合が悪く、被告人の述べてないことが調書に記載されており、また不当な誘導による取調を受けた。」

というのである。

しかしながら、

1 証人杉山一教、同遠藤三郎の当公判廷における各供述、司法警察官作成の「診療書の受領について」と題する書面(甲三七三)を総合すると、被告人は、本件犯行後、昭和四〇年一月一七日から逮捕された同月二〇日に至るまで、腹痛、頭痛、言語障害を主訴として、新潟大学附属病院第一外科に入院していたが、同外科は、被告人に対し、問診をはじめとして、脳波、血液、尿、脊髄液などの諸検査をしたが、これに客観的成績が出るに至らず、言語障害の主訴に対しても反射反応があつて、検査成績が症状に合わず、明確な診断が出来ないまま、他への移送は支障なしと判定したこと。右判定に基いて前記のとおり同月二〇日被告人は入院中であるにもかかわらず逮捕されて拘置所に収容されたものであり、翌二一日、被告人の前記のとおりの主訴に対し、新潟刑務所医務課医師杉山一教がこれを診断しその後も四、五回にわたつて診察したが、疼痛を訴える腹部は押せば痛みを訴えたが格別の抵抗も症状もなくて特別の医学上の所見は認められず、発熱もなかつたところから重症とは判定せず、単に胆のう症の疑いがあると診断していることが認められるのであつて、当時被告人の健康状態は必ずしも良好であつたとはいえないとしても、特に取調べに堪えられないほど身体が衰弱していた状況にあつたとは認められない。

2 証人米沢隆(第七回公判期日)、同久我二一(同期日)同吉田熊治、同本間顕博の当公判廷における各供述によると、警察官は、本件は特に重大事件であり、逮捕当時被告人が病院に入院中であつたため、被告人の取扱に慎重を期し、留置場所も、特に医者の常置してある新潟刑務所を選び、その取調べに当つては絶えず被告人の身体の調子を聞きながらこれを行い、被告人の希望があれば、その都度、看守を通じて刑務所内の専門医の診断を受けさせ、被告人が変調を訴えたときは、その意向を聞いて、身体の具合の悪いときには横に寝かせ取調に堪え得るとした場合にのみ取調を行つたこと、そしてその取調方法も被告人がすでに警察官の許で明らかとなつていた事実や証拠と異る供述をした時は記憶喚起を促すことはあつたが、それでもなお供述を変えないときは、そのまま被告人の供述どおり調書を作成するといつた方法を採つていたこと、また、取調時間も原則として朝は午前九時ごろから正午ごろまで、昼は、午後一時ごろから午後四時ごろまでとし、例外として約四回にわたり、夜間午後六時から午後九時まで取調べたことがあつたに過ぎなかつたこと、取調の間は勿論手錠は外していたこと、取調べの場所も拘置所の看守室隣りの取調室、または通常の勤務時間後は保安課の取調べ室を利用しておつて、第三者が取調べの状況を看視することが比較的容易にできる場所であつたことが認められるのであつて、勿論当時健康状況が良好でなかつた被告人としては必ずしも満足すべき取調方法ではなかつたにせよ、捜査官側で、かかる重大事件の被疑者の取調として右のごとき特段の配慮のもとに取調べに当つたものというべく、他に検察官或は司法警察員が被告人を取調べるに当り強制、拷問、脅迫、不当な誘導等による違法な方法を採つたことを疑わしめる事由は存しない。

3 押収されている録音テープ(被告人の実況見分の際に作成)四巻(前同号の六九)、録音テープ(被告人と米沢警視との対談)一巻(前同号の七〇)によると、被告人は、同年二月二日、本件犯行現場の引き廻しの際、自らその現場を指示し、また同月三日、新潟中央警察署警視米沢隆と電話によつて対話した際、自ら本件犯行の模様を任意に述べていることは録音された問答内容から明認できる。

以上の認定事実をあわせて考えると、被告人の前記当公判廷における供述には直ちに信を措くことができず、被告人の司法警察員および検察官に対する自白は、任意性につき合理的な疑いをさしはさむ余地は全くなく被告人の右自白は任意になされたものと認めるのが相当である。

(三)  自白の信用性の程度

被告人の捜査官に対する自白調書の供述内容の信用性を検討する場合には特に次の点を充分考慮に入れなければならない。

1 被告人の自白(不利益供述)により捜査官が当時知り得なかつた証拠を収集し得た場合には、その事実が証明される限り被告人の右供述部分の信用性は極めて高いといわねばならない。

2 併しながら被告人の自供が客観的事実又は状況と詳細な点まで一致しているというだけでは、右事実又は、状況が当時捜査官側で了知している限り、(それが極端な場合、反つて捜査官側からの誘導によるものではないかとの疑いを生じることはあつても)この一事を以つて自供内容の信用性が高いと断定することは危険であるといわねばならない。何故なら右の一致は捜査官が被告人を取調べるに当り供述さるべき内容を示して誘導した事実がないことが立証されて初めて高度の信用性を取得するものといわねばならないからである。

3 次に捜査官側の誘導なしに、被告人が先行的に自白し、かつそれが客観的事実又は状況と一致する場合であつても、本件のごとく社会の耳目を聳動させ、事件の経過内容等について相当広く報道された事件については、自供内容が当時一般に知れわたつている事実のみに関する場合は、単に客観的事実又は状況に合致した事実の先行的自白であるとの一事をもつて該自白の信用性を云々することも警戒しなければならない。

以上の諸点を特に留意して前記被告人の自白調書の信用性の程度を検討すると、本件では特に次の理由で右自白調書の信用性は相当高度のものと認めることができる。

すなわち、

(1)  被告人の司法警察員および検察官に対する自白は右自白によつて捜査官側ではじめて知り得た本件の各物的証拠と符合している。すなわち前述のとおり、本件自動車の後部トランク内の被害者の死体の下に敷かれていた新聞紙類(前同号の六一、六二)、被告人が本件犯行当時着用していたと認められる血痕のついたワイシヤツ(前同号の六三)、前述のとおり死体遺棄現場にあつた足跡と一致するゴム半長靴一足(前同号の一四、一五)、本件犯行に使用されたと認められる赤い布切れ二枚(前同号の四九、五〇)等はいずれも被告人の自白により捜索された結果発見されたものであり、また、被害者の所持していた女持洋傘(前同号の三六)は前記のとおり被告人の自白した場所と同一の場所から拾得されたものであつて、これらは、被告人だけしか知りえない場所から、しかもその供述にそう物的証拠が採取された点において、被告人の該自白に高度の信用性を与えると共に自白全体の信用性を高めるものといわねばならない。

(2)  証人本間顕博の当公判廷における供述によると、被告人が一月二九日の検察官の取調の際、被害者を誘拐すべく本件自動車に乗せたがその際同女からスキーの話を聞いたとのべたことから、検察官は始めてその事実を知り、これをもとに後記志賀紀美子など関係者につき裏付捜査をしたところ、その内容が一致した旨供述している。

ところで、被告人の昭和四〇年一月二九日付司法警察員に対する供述調書(甲四八八)、志賀紀美子の同日付司法警察員に対する供述調書(甲三〇三)、同女の検察官に対する供述調書(甲三〇四)、折戸マンの司法警察員に対する供述調書(甲一〇八)を仔細に検討すれば、まず被告人の右同日付検察官に対する供述調書(甲四八八)には「スキーの講師の父親にスキーを滑りやすくして貰つた旨被害者から聞いた。」とあり、志賀紀美子の同日付司法警察員に対する供述調書(甲三〇三)によると、同女と被害者は同月八日から一〇日まで猪苗代スキー場に行きその際、被告人が供述しているような事実があつた旨供述していること、(もつとも同女は一月二九日の司法警察員の取調に際しスキーの講師の父親に直してもらつたとまではのべておらず、翌三〇日の、中村副検事の取調に際しはじめてスキーの講師三浦雄一郎の父親三浦敬三がスキー指導員に命じてスキーを直してくれた旨供述している。)折戸マンもこの点について、一月三〇日付の司法警察員に対する供述調書ではじめてスキーをなおしてもらつた事実を供述していること、志賀紀美子も折戸マンも共に右事実を他に話したことはなく、被害者も実母以外にこれを勤め先の同僚や友人など他に漏した形跡もなく同女が右スキーから帰つた同月一〇日から本件が発生した以前に被告人に逢つたような事実も窺い得ないこと、(この被告人の供述に対する現地関係者の裏付捜査は二月三日以降同月一〇日までになされてはじめて明らかとなつている。)が認められ結局これは本件犯行当時本件自動車の中で被告人が被害者と同乗していたとき同女から聞いたものに間違いなく、取調官も当時知らなかつたことを被告人が自ら述べたものでしかも客観的事実に符合する点で被告人の該自白に高度の信用性を与えると共に自白全体の信用性を高めるものといわねばならない。

(3)  次に被告人の自白調書の内容全体を検討すると、被告人の自供する本件犯行内容が後に掲げる若干の事項を除いてその基本的部分において客観的事実又は状況と一致していることが認められる。

ところで前記三の(二)の2掲記の各証拠、証人久我二一の当公判廷(第一一回)における供述によると、捜査官側は被告人取調の当初より、被告人を本件の犯人と推定できる多くの物的証拠を採取しており、又被告人が当時良好とはいえない健康状態にあつたこともあつて、調書は一応被告人の供述したとおり作成しておき、その後事実と異る供述部分については調書をとり直す方法をとつていたこと、特に被告人は逮捕された当時言語障害を訴えていたため通常の供述調書が作成できなかつたので、取調官が質問事項を先に書いておき、之を被告人に示してその答を被告人自身に書かせるといつた方法で筆談調書(右筆談調書は司法警察員に対するもの四通、検察官に対するもの一通、合計五通あるが、前者のうち最初の二通を除いた三通が本件犯行の大要を自白した調書である)を作成したこと、被告人は警察官の質問事項に対し、おおむね直ぐに書きはじめたことが認められ、右事実によれば被告人の自白調書のうち特に筆談調書を含めた初期の調書については、捜査官側からの誘導的質問が行われたと疑うべき契機が乏しいといわねばならない。

さらに被告人の右筆談調書および初期の自白調書を仔細に検討すると、その内容は必ずしも当時一般に報道された事実のみに関するものとはいい難く特に被告人の昭和四〇年一月二一日付司法警察員に対する筆談調書中には一月一四日折戸家にかけた電話は二回で、一回目はお話中だつた旨供述しており、右供述は折戸マンの同月二七日付検察官に対する供述調書(甲一一二)中の「一四日午前一一時四〇分ごろに電話がかかつて、その時録音装置がうまくなかつたのでまごまごしており暫くベルを鳴らせたままにしてから受話機をとつたら応答がなかつた」旨の供述と符合していること、又被告人の同月二三日付司法警察員に対する供述調書(甲四七〇)によれば、被告人が自ら赤旗を立てた場所を図面を書いて供述しており、その地点が前判示のごとく小池一栄が犯人らしき男が釣竿を折つていた地点と同様越後線和合踏切の西方(その間に若干の距離的誤差があるが)である点で一致していることが認められ、右の点については当時一般に報道された事実といい難いこと当裁判所で明らかなところである。(尚押収にかかる新潟日報一月一五日付朝刊(前同号の一三六)には赤旗が立つていたと推定される地点が図示してあるが、右地点は右和合踏切の東方になつているから、仮に被告人が右新聞により赤旗の位置を知つたと弁解しても、これだけでは前記図面を作成することはできないといわねばならない。)

(4)  もつとも被告人の検察官及び司法警察員に対する供述調書全体を仔細に検討すると、供述を変更している部分(例えば被害者殺害と折戸家に対する第二回目の電話の時間的前後、録音された電話をかけた委託公衆電話の所在場所、本件自動車後部トランクキーの存否及びトランク施錠の有無、本件犯行に当り赤旗を立てた地点等)、細部についての供述を録取していない部分或は供述内容が不自然と思われる部分がないわけではないが、これらの点は本件犯行の基本的部分とはいい難いのみでなく、前認定のごとく本件では取調官が或る程度追求して被告人が供述を改めないとたとえ客観的証拠に反していてもそのまま供述したとおりに一旦調書を作成していること、(例えば死体を遺棄した時の死体の位置、逃走した方向等)被告人は刑務所に面会に来た母親に「捜査の最初から誰が考えても矛盾がでるようにしておいたのだ」と云つたことがあること、(被告人の第一〇回公判廷における供述)被告人は身代金要求行為に失敗し、死体を遺棄したり、証拠品を捨てる段階になつて終始狼狽して行動した形跡があり(被告人の全供述調書)その事から細かい点について認識が欠け或いは記憶を失つたとも考えられること、そのほか被告人の当公判廷における供述態度をも合わせ考えると、これをもつて被告人の自白全体の信用性を疑わせる資料とはなし難いものといわねばならない。

以上を総合すると、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書の信用性は充分あるといわなければならない。

四  被告人の当公判廷における供述の合理性および真実性の有無の判断

(一)  被告人の当公判廷における供述の不合理性

被告人の当公判廷における供述は、その主張にかかる「リユウ」「高橋」、氏名不詳の男某なる三人の男が実在するかどうかについて極めて曖昧であり、この点に関する被告人の供述は全体として極めて不自然且不合理な点が多い。すなわち、

1 被告人は、「東京都内で「リユウ」とその仲間に傷害を与え、昭和三九年四月ごろ「リユウ」が新潟に現われて以来、そのことで多額の金員を要求されこれを断ると、同人から命令に従うよう要求され、もし之に応じなければ被告人およびその家族に害を与えるなどと脅迫され、同人から指定された毎月三のつく日に新潟駅に行つて内容不明のジユラルミン製トランクを運搬させられていた。その後これを断ろうとすると同人から三〇〇万円出せといわれやむなく運搬を続けていた」というのであり「リユウ」およびその配下と思われる「高橋」とはこれまで何度か交渉があつたが、それにもかかわらず被告人は「リユウ」「高橋」らの事について容ぼう、年令などを単に述べるだけであつて同人らが何処に住み、何をしているのか、またそのほか手がかりとなるべき事をなんら述べていないし、積極的に述べようとしないのである。また「リユウ」らから貰つたり同人らが置いていつたという硫酸紙、念書、名刺ようの紙などもこれが発見されるに至つていない。(もつとも「リユウ」から被告人が貰つたという手袋一双(前同号の一三三)が妻中村正子より提出されたが、これを「リユウ」から貰つたという点は被告人の供述のみでは未だ明らかになつたとはいえない。)また、被告人は、右「リユウ」は東京都芝田村町五丁目所在の喫茶店「ウメヤ」に良く出入りし、従業員にも良く知られているというのであるが、証人田中芳雄、同劉人敏、同野村武雄、同丸山康栄、同加藤節一、同加藤達太郎に対する当裁判所の各尋問調書、玉木順市、村瀬孝則の司法警察員に対する各供述調書(甲五九〇、五九一)によると、当時、東京都内で被告人と同じ部屋で生活を共にしていた友人らはいずれも被告人がいうように、同人が喧嘩をし殴打され負傷したような事実についてはなんら心当りのないこと、また前記「ウメヤ」には被告人がいうような「リユウ」は出入りしてはいないことが認められる。

以上の事実を併せ考えると「リユウ」「高橋」外一名の者は特定性具体性を欠き、したがつてその実在性は極めて曖昧である。

2 被告人は「リユウ」らから脅迫され、不本意ながら本件の犯行の一部に加担させられたというが、本件犯行内容が極めて重大であることを充分認識しながら、逃走し、或は警察に届ける機会があるのに何故に漫然とその命令通り行為していたかにつき首肯し得る理由を見出し難い。被告人はもしそうすれば「リユウ」らが被告人や中村正子あるいは山川家の家族の生命、身体、財産などに危害を及ぼすのが恐しかつたというのであるが、右主張自体、具体性に欠けており、真実性にとぼしいといわねばならない。

3 被告人の供述によれば「リユウ」「高橋」らは被害者を殺害してその死体を被告人の本件自動車に入れ、一月一三日の夜は、これを被告人に保管させていずこともなく姿を消し、翌一四日午後五時二〇分頃死体を遺棄するまで被告人に被害者の死体を預けつぱなしにしていたことになるが、かかる重大なる計画犯行の主犯者である「リユウ」「高橋」が、格別の信頼関係もなく、単に脅迫していた男にすぎない被告人に死体を保管させておくことは極めて不自然で、この点についての被告人の陳述も曖昧であり不自然である。

4 金子トモ子(甲一八二)、熊谷利二(甲二〇二)、福本孝夫(甲一九五)、田沢幸太郎(甲二〇〇)の各司法警察員に対する供述調書によれば、被告人は一月一四日いずれも単独で自動車を運転しているところを次の者に目撃されていることが認められる。

時間(ごろ)  目撃者    場所

a 午前一〇時   金子トモ子 新潟市本町通り一三番町三〇三六番地

斎藤秀治

b 午前一一時   熊谷利二  新潟駅前附近

c 午後一時    福本孝夫  同市西堀前通二番町七一四番地附近

d 午後二時三〇分 田沢幸太郎 同市東町通り

ところが、被告人の供述によると右の各時点の前後に、その都度「リユウ」「高橋」が本件自動車に乗つたり降りたりしていることになるが、被告人が右「リユウ」「高橋」らといるのを目撃した者は誰もいない本件では、右陳述は極めて不自然であり、かえつて、右のような五時間足らずの比較的短い時間帯に四回にわたり一人でいたことを目撃された被告人はかえつてその全時間帯を終始一人で行動していたものと推認するのが合理的である。とすればむしろ被告人は単独であつたところを目撃されたことに合わせて右の場合には右の両名がいなかつたように作為的に供述したとみるのが相当である。

5 そのほか、被告人は死体遺棄現場附近において、「高橋」が被害者の死体を捨てる以前にわざわざ被告人の長靴に履き代えた旨、赤旗を立てるときに「高橋」が被告人の長靴を借りて履き被告人のオーバーを着ていつた旨、風間釣具店に「高橋」が釣竿を買いに行つたとき被告人のオーバーを着ていつた旨当公判廷で述べているが、これらはいずれも不合理な弁解であるうえかえつて通常おこりえぬ事実をもつて自らの犯跡を隠ぺいするため仮空人物に自己をおきかえようとするものであるという外はない。

以上これを要するに被告人の弁解は、通常おこりえないことないしは常識で考えられないことが多くその内容は不合理、不自然であり、かつ、作為的であつて、採用の限りではないというべきである。

(二)  被告人の当公判廷における供述の非真実性

被告人の当公判廷における共犯者の存在することを前提とする供述には次のとおり事実と符合しない点が多々みられる。すなわち

1 本件自動車後部左側のドアロツクボタンについて

被告人は当公判廷において終始右ドアロツクボタンは先端のつまみ部分は欠損していたが、使用に堪え、且使用していたものであり、一月一三日「高橋」が被害者を殺害する際後部左側ドアを開けて被害者のいる助手席に入り込んだ旨主張し、本件当時後部左側のドアは閉開ができ、したがつて人の出入ができたがごとき主張をするのであるが、昭和四〇年一月二七日付司法警察員作成の実況見分調書(甲二一)、当裁判所の同年八月二七日及び同四一年二月二一日付各検証調書、証人岡村博(第一四回公判期日)、同大湊悦栄(第七回公判期日)の当公判廷における各供述、星野熊一の検察官に対する供述調書(甲一七八)押収にかかるドアロツクボタン一個(前同号の一一五)によれば、

(1)  本件自動車は昭和四〇年一月一九日前記山川自動車商会で保管中押収されたが、押収当時左側後部ドアはロツクボタン脱落したままロツクされ、右ロツクボタンは(前同号の一一五)は下部のネジ差込部分が一部欠損して本件自動車のダツシユ板の中にあつたこと、

(2)  本件自動車のドアはドアロツクボタンを押して施錠した場合、車の内外から之をひきあけることはできないこと、

(3)  右ドアロツクボタンは下部が欠損しているため本件自動車の後部左側ドアのロツクボタン取付ネジに固定することができないこと、ロツクボタンをつけずに右取付ネジを下に押し込んで施錠すると、ネジは完全に車のボデイー内に没して手指等では之をひきあげることはできないこと、

(4)  一月一七日大湊悦栄が被告人を入院させるため、本件自動車を使用した際、被告人の妻正子が後部左側ドアから入ろうとして二、三回ドアをたたいたが開かず、止むなく右側後部ドアから入つたこと、

(5)  一月一三日午後八時頃被告人が星野果物店で果物の盛籠を買つた際、被告人は盛籠をもつて本件自動車の左側(前か後か明らかではないが)のドアをあけようとしたが閉つていたため、右側運転席から手を入れて右側後部ドアをあけていること、

(6)  本件自動車は一月一五日夜前記商会が被告人方からひきあげて行つた後、同月一九日押収される迄、被告人の入院時を除いて特段に使用され或はドアロツクボタンを操作した形跡がないこと、

以上の事実を総合すれば本件自動車の左側後部ドアは、本件当時も、押収当時の状態でロツクボタン脱落のままロツクされ、容易に開閉し得なかつたものと推認できるのであつて、被告人の前記供述は結局真実に反する主張といわねばならない。(なお、被告人はこの点につき前記下部欠損のドアロツクボタンは捜査官において共犯説をつくがえす意図のもとに作為的にダツシユ板に入れ、先端の欠損したロツクボタンは之を隠匿したものである旨主張するが、之に沿う証拠はなく、全く論外という外ない。)

2 「高橋」が赤旗をたてに行つた際、被告人が新潟市役所鳥屋野支所附近で待つていたことについて被告人は「同月一四日午後一時過ごろ、新潟市役所鳥屋野支所附近道路で赤旗を立てにいつた「高橋」を待つて停車していたが、その際渡辺寿衛に逢つた」旨供述しているが、第四回公判調書中の証人渡辺寿衛の供述部分、証人中村正子に対する当裁判所の尋問調書、家田栄介、吉井一二の司法警察員に対する各供述調書(甲五九八、五九九)、巡査部長本間忠雄作成の捜査復命書(甲六〇〇)、司法巡査猪又勇作成の「写真撮影報告について」と題する書面(甲六〇一)によると、渡辺寿衛が被告人と前記場所で逢い声をかけたのは、前日の一月一三日午後三時すぎごろであつたことが明らかであり、これと日時を異にする被告人の前記供述は明らかに虚偽であり、ひいては右主張を根拠にして一月一四日「高橋」が赤旗を立てたところにいた事実を間接に印象づけようとする被告人の弁解全体も真実性がないというべきである。

3 被告人が一月一四日午後五時すぎ「高橋」と本件自動車に同乗していたことについて

被告人は「同月一四日、午後二時三〇分すぎ頃から本件自動車に「高橋」と同乗し、以後新潟市関屋海岸通称射撃場道路附近で「高橋」が被害者の死体を捨て、同市金衛町から柾谷小路を通り万代橋を経て、同日午後五時三〇分ないし午後六時ごろ、新潟駅で同人を降ろすまで「高橋」と同乗していた、そしてその間石油スタンドで給油したことはない」と述べている。

しかし、証人柳瀬重雄の当公判廷における供述、同人の司法警察員に対する供述調査(甲三九九)、給油表謄本(昭和四〇年一月一四日付、甲六九三)によると、同人は新潟市上大川前通八番町一二九七番地所在信越石油株式会社ガソリンスタンドの店員であるが、同日午後五時少し過ぎごろ、被告人が一人で本件自動車に乗つて給油に来たので、同人が同自動車助手席の後の方のタンクに三〇リツトル注油したが、その際同乗者はいなかつたことが認められる。右事実に徴すれば被告人が右時刻ごろ「高橋」と本件自動車に同乗していたこと、さらに同人と共に死体を捨てに行つた旨の右供述は結局真実に反する供述といわざるを得ない。

五  その余の主張についての判断

次に弁護人らの共犯者が存在するとの主張にそう証拠の存否について検討する。

(一)  志賀勇の目撃したプリンスグロリヤについて、

第四回公判調書中の証人志賀勇の供述部分によると、同人は、昭和四〇年一月一三日午後八時四五分ごろ、新潟市寄居町七の四の二番地増田篤(前掲増田英子の夫)方前路上を自動車で通つた際普通乗用自動車プリンスグロリヤが停車し、そのそばに二人の男女が立つているのを目撃し、車の中にもう一人の男がいたようであつたこと、右女は三〇才位でコーモリ傘に似た長いものを持つていたようである、と述べている。

ところで右場所は本件誘拐事件の発生した現場附近であり、しかもその時間からして車中にいま一人の男が居たとすれば一見、被告人の公判廷での被害者を本件自動車に乗せたのは「リユウ」「高橋」の二人であるという供述にそうようであるが、同人の右供述部分によると、同人が目撃したのは本件自動車のように黒色でなく明るいねずみ色であつたと明確に供述しているのであり、しかも同人はこれを割合明るかつた同所附近で目撃していること、しかも右供述部分中には右自動車の中にもう一人の男がいたようであつたというのも単に同乗していた友人がそのように言つただけのことで同人は、そのような感じは受けなかつたというのであるから同人の右供述部分をもつて直ちに被告人の公判廷での前記供述部分にそう証拠とはいえず、したがつて判示被告人の単独犯行の認定を左右するには至らない。もつとも、被告人は本件犯行当時はプリンスグロリヤにはねずみ色の車は発売されておらず、また雪が降つたあとで道が悪く本件自動車には泥の飛沫が全面にかかつたため、ねずみ色に見えたにすぎない旨主張するが、この点については未だ被告人の主張を措信できる心証を惹起し難い。

(二)  電話中の第三者(女性)の声について、

1 同月一四日午後一時一二分ごろ新潟駅案内所にかかつた電話の冒頭部分の声について、

証人西村淳子の当公判廷における供述、同人の検察官に対する供述調書二通(甲三四二、三四三)によると、日本旅行会新潟駅内営業所案内係西村淳子は、右時刻ごろ「西大畑の折戸さんを呼び出して下さい」との電話を受け、直ちにインターホーンで放送係に連絡したが、その時の感じでは女の声と思い新聞記者や警察官にはその声は女であつたと述べたが、その後改めていろいろとその事について問われてみると断定できないようになつたというのである。しかして、右各証拠によると右新潟駅内案内所が最も多忙となるのは、同駅午後一時三〇分発急行「越路」の発車前ごろで一時間に一〇〇回も電話がかかつて来ることもあり、たまたま本件の前記電話もそのころかかつて来たものであること、したがつて、右西村が当時の声の男女の別を明確に断定できないのもあながち無理ではないからいまだ前掲供述および同女の供述調書のみをもつて、前記案内所にかかつて来た電話は女の声であつたと認めるのには不充分である。

2 同日午後零時一〇分ごろ折戸家にかかつて来た電話の冒頭部分について、

折戸マンの当公判廷における供述、同女の検察官に対する供述調書(甲一一二)秋山和儀作成の鑑定書、押収してある複製録音テープ一巻(前同号の六七)によると、右電話はベルがなつて、まず折戸マンが「あ、もしもし」といつたあとすぐ「あんたもしもし」と聞える女性らしき声の言葉が入り次に犯人の「もしもし」と続くのであるが、声紋分折をした前記秋山鑑定人によると右「あんたもしもし」は「も」の部分が聞きとりにくいものの「あんたもしもし」といわんとしていると思われるがこれは対話者である折戸マンと犯人以外の声であるとしているのに対し、折戸マンは当時右電話に女の声が入つているとは思わなかつたこと、右「あんたもしもし」は少くとも「もしもし」の部分だけ自己の声と思えるといつていること、右「あんた、もしもし」はその前後の「もしもし」に極めて接着しており犯人の側で受話器の授受があつたとは考えにくいことが認められ、ここに第三者の声が入つたかどうかについてはやや疑問がないではないが、かりに前記鑑定書のとおりこれが第三者の声であるとしても、その介入する時期と程度から考えて、被告人の判示のごとき本件犯行の帰趨について何ら影響を及ぼすものではないといわねばならない。

(三)  被告人の両親が憂慮している被告人の背後関係について

被告人の父広次の検察官に対する供述調書(甲四五一)中には(二年前から真也(被告人)の様子がおかしい。昭和三九年一〇月ごろから殆んど家にはよりつかないし毎日車を運転して出かけたようであり、顔はそう白で何かにとりつかれている様であつた。背後に誰かがいて真也にこのようなことをさせたのではないかと思う。」とあり、母親ミスはその検察官調書(甲四六一)において、「今度の事件は、この一年半来真也につきまとつている影のようなもののせいだと思う。」と述べ、第六回公判廷では次のように供述している。すなわち、「真也は昭和三九年六月ごろから落着きがなくなり、そう白な顔をし不安を覚えていた。真也には背後関係がある。この事件前、高橋という人から再三電話があつていた。」と。しかも前記の供述調書はいずれも被告人が共犯者の存在を主張する以前に供述されたものである。ところで、前掲証拠の標目中の被告人の供述調書によると被告人が判示のとおり山川自動車の将来を考え、思い悩むようになつたのが昭和三九年六月以後でありその後同年一〇月ごろから病状が思わしくなかつたというのであつて、これらがその両親の目にいかに映つたかは別として、被告人に背後関係があるということは、右ミスが、親の直感ともいうべきものであつて何の根拠もない当公判廷で述べているように特にこれを裏付けるものはない。そして、証人高橋悠の当公判廷における供述によると、右ミスのいう高橋も、被告人からアパートの斡旋方を依頼され、そのために山川自動車商会に電話をしていた被告人の知人高橋悠であり、被告人のいう「高橋」とは関係のない高橋であつて前記山川広次、同ミスの供述等をもつてしてもいまだ判示認定を左右するに至らない。

以上、詳細に述べたとおり、被告人が本件犯行の犯人で、且本件が被告人の単独犯行であることは、前掲各間接事実と被告人の自白調書とによつて証明は充分であつて、被告人の当公判廷における供述は不合理な点が多くかつ証拠と矛盾し、その余の弁護人主張の各事実ないしは証拠も判示認定を左右するに足らないと結論するものである。

第四法令の適用

被告人の判示(第一、三、本件各犯行)(一)の所為のうち、身代金目的拐取の点は、刑法第二二五条の二、第一項に、拐取者身代金要求の点は同法第二二五条の二、第二項に、判示(二)の所為は同法第一九九条に、判示(三)の所為は同法第一九〇条にそれぞれ該当するところ、右の身代金目的拐取と拐取者身代金要求との間には手段結果の関係があるので、同法第五四条第一項後段、第一〇条により一罪として犯情の重い拐取者身代金要求の罪の刑で処断することとし、判示(二)の殺人罪につき後記第五記載の情状に照らし、所定刑中死刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪の関係にあるが、そのうちの一罪につき死刑に処すべき場合であるから、同法第四六条第一項本文により、他の罪の刑を科さず被告人を死刑に処することとし、押収してある白木綿包帯よう布紐一本(昭和四〇年押第二二号の一)は判示殺人の犯行に、赤旗一枚(前同号の五〇)、折れた釣竿(根本に赤いテープの三三〇円の定価表のついたもの)二本(前同号の五一)、折れた釣竿(長さ五〇センチメートル)一本(前同号の五二)、折れた釣竿(長さ五七センチメートル)一本(前同号の五三)は判示拐取者身代金要求の犯行にそれぞれ供した物であり、また押収してある赤い布切れ一枚(前同号の四九)は判示拐取者身代金要求の犯行に供せんとした物であつて、いずれも被告人以外のものの所有に属しないから、同法第四六条第一項但書、第一九条第一項第二号、第二項によりこれらを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人には負担させないこととする。

第五量刑の事由

一  被告人の本件犯行は、自己の金銭的欲望を満足させんがため若き女性を誘拐し、何物にも換え難い貴重なその生命を奪い取り、しかも、その家族の憂慮、心痛に乗じて、これに対し、身代金を要求した点において、まずその罪責において極めて重大であり、かつその犯情において極めて卑劣であるといわなければならない。

二  しかも、その犯行は、判示認定のとおり、映画「天国と地獄」にヒントを得て、極めて周到かつ緻密な計算のもと身代金要求の計画をたて、これを利用したものであつて、折戸紀代子を誘拐の対象としたことには偶発的な面があつたにせよ、本件は単純な偶発犯とは自らその性格を異にしていることは明らかである。のみならずその犯行の態様も、同女を拐取した後、これまでの誘拐犯には類を見ない七〇〇万円もの大金を同女の安否を憂慮するその家族に要求し、同女を殺害した後も、なおも平然とその身代金の要求を続け、その身代金授受の方法に至つては、さきの計画のとおり、予め、新潟駅に呼び出しておいた同女の安否を憂慮するその母親や兄に対し、指定した列車に乗車し、走る列車の中からその沿線に立つている赤い旗を目当てに身代金を投げ落すよう、特に警察官の捜査を困難ならしめるため、その列車の発車間際に電話で指示し、その沿線において赤い旗を立てて待機をしていたのであつて、これら身代金目的の拐取および身代金要求の一連の行為は大胆不敵にしてかつまことに巧妙である。そのうえ、同女殺害に当つては、習い覚えた唐手を利用して手刀で同女の頸部を強打してこれを失神せしめたうえ腕で扼し、なおも同女が生き返えるのをおそれてさらに包帯を同女の頸部に二条にして二回巻きつけ、これを強く締めつけるなど、殺意は極めて強固なものがあり、その方法も非道という外なく、さらに同女の死体を長時間にわたつて自己の自動車の後部トランクに隠匿したうえこれをその自動車で運搬して遺棄したり、その後も関係証拠品を次々に場所を変えて捨てるなどして、証拠湮滅をはかり、自己の犯跡をくらますことに腐心するなど、これら犯行の前後を通じての被告人の挙動には測り知れない反社会性が窺われ、この点につき情状酌量すべき余地は全くない。

三  さらに、その犯行は、判示認定のとおり、当時、特に切迫した金銭的事情もなく、主として自己の独断的な事業欲を満足させんがために実行されたものであり、そこにはこれが欲望の実現のため、手段を選ばず、他人の人命を犠牲にすることをなんら厭おうとしない人命軽視の反社会性もまた、窺い知ることができるのであつて、その動機において一片の同情をもさしはさむことはできない。

四  そのうえ、被告人は、捜査段階については一応の自白をし、調書上には悔悟の情をもらした部分もこれを認めることができるが、事実の一部につき後日のため矛盾を残しておこうとして故意に嘘をいい、果ては供述を転転とひるがえし、ことさら事実を歪曲しようとした態度が窺われ、当公判廷においては、捜査段階の自白を全面的にひるがえし、自らの罪責を架空の人物に負わしめようとして根拠のない共犯説を唱え、自己に不利益な証拠は捜査官の証拠工作によるものであると弁疎するなど、自己の罪に対する真摯な反省悔悟をなんらしようとはせず、終始自己弁護につとめ、これまでなんら慰藉の道も講じられていない被害者およびその関係家族に対し、真から謝罪の意を表しようともせず、これら本件の審理の全過程を通じ遂に被告人に真の改悛の情を見受けることができなかつたのは被告人のためにも極めて遺憾なことである。

五  一方、被害者折戸紀代子は、東京女子美術短期大学を卒業後、実兄善衛の経営するメリヤス販売卸業株式会社折戸商店にデザイナーとして勤務していた明朗快恬な独身女性で、事件当日、昭和四〇年一月一三日は折しも同女の二四回目の誕生日にあたり、母マンらの祝福を受け、事のほか喜々として楽しい時を過しているうち、突然かかつた電話に呼び出され、被告人より誘拐されたうえ、被告人の欲望の犠牲となつて殺害されたものであり、余りにも急激な当日の身上の変化に思いを致すとき、同女の心情にはとりわけ同情の念を禁じえない。そしてこれまで愛情をもつて育て上げて来た母マン、愛する妹を失つた兄善衛等家族関係者の心痛は察するに余りあるものがあり、被告人の誘拐、身代金要求の行為が同人らに与えた堪え難い焦燥、不安、苦痛はまことに筆舌に絶するものがあるというべきであり、この点に関し被告人は、その刑事責任の重大なることを深く自覚すべきである。

六  ところで、近時、吉展ちやん事件をはじめ多発する身代金目的の誘拐に対処するため、とくにこれが、被拐取者に危害の加えられる虞れが高いこと、被拐取者の近親等に与える憂慮心痛がとくに大きいこと、このような心痛を利用して身代金を取得しようとする犯人の心情がとくに卑劣であること、しかも成功すれば一攫千金の夢を実現しうることも一つの理由となつて模倣性ないしは伝播性が極めて強いことに着目され、これまでの営利誘拐罪の刑(刑法第二二五条、懲役一年以上一〇年以下)をもつてしては軽きに失するとして、昭和三九年法律第一二四号により身代金誘拐罪に関する刑法の一部改正が行われ、刑法第二二五条の二として新たに身代金誘拐罪(無期又は三年以上の懲役)が設置され、右法律第一二四号は昭和三九年六月三〇日に公布、同年七月二〇日から施行されるに至つたが、本件はその後わずか六か月足らずの間に発生した事件であり、しかも当時吉展ちやん事件も未解決であつたうえ、本件犯行の約二〇日前にも仙台市内で幼児誘拐、殺人事件が発生していたこともあつて、当時身代金目的の誘拐が一つの社会問題にまでなつていた折から、敢えてなされた被告人の本件犯行がいたいけな幼児でなく成人の女性を襲つたものであるにせよ子女を持つ親に対して与えた戦慄、恐怖は強烈極まりなく、また広く社会に与えた衝撃も極めて大きく、それが社会にもたらした恐怖と不安は実に測り知れないものがあつたといわなければならない。ことに当新潟地方は大地震に襲われてさほど間がなく、震災後の混乱や人心の動揺も漸く治まろうとした矢先、再び地域社会の平穏と安全をくつがえすような本件犯行がなされたことはとくに重大視されるべきある。

七  しかして、本件は、これまで身代金目的の誘拐に多く見られた幼児ないしは小学生等年少者の拐取とは異り、当時二四才の成年女子をその対象としたところに特色がある。ところで前記身代金誘拐罪の新設に当つても、特に被拐取者が幼児等の場合は誘拐そのものが容易であることも、立法を促した一要因とたつていることが窺え、この点につき成年女子を拐取した本件では若干その犯情において考慮すべき点があるようにも考えられないでもないが、しかし、一方、その認識力がさほど確かではない幼児等と比較すると犯人の人相、容ぼう等その特徴をより明確に覚知して記憶し得る成年者を誘拐の対象に選んだ場合(とくに本件のように被拐取者とは顔見知りの間柄であつた場合)は犯人の心理としても、被拐取者が幼児等の場合よりも、自己の犯跡を隠ぺいするためこれが殺害に及ぶ危険性はより大きいというべくこの点にまで思いを致すと、被拐取者が成年者であるという一事をもつてしては、特にその犯情において斟酌すべき点はないものといわなければならない。

八  一方、被告人はいまだ春秋に富む青年であり、これまで道路交通法違反で前後六回にわたり罰金に処せられた以外は懲役刑の前科もなく、その生活歴もやや不明な点もあるが、さしたる崩れを示していないこと、本件犯行の動機には判示認定のとおり、当時持病の発作に襲われたことにもやや影響された面もあつたこと、および結果的には被告人はその目的を達せず、身代金を入手するに至らなかつたことなど、被告人のため何程かの斟酌すべき事由もないではないが、以上、本件犯行の罪質、態様、動機、その後の被告人の態度、被害者の遺族の心情および本件犯行の社会的影響、その他本件審理に顕われた一切の事情を総合すると、右のような被告人のため斟酌すべき点を考慮に入れてもなおかつ被告人に対しては判示殺人罪の所定刑中、死刑をもつて臨む以外はないものと考える。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 石橋浩二 礒辺衛 松村利教)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例